1988年12月の年の瀬も押し迫った頃、私は大学病院の大部屋のベッドの上にいました。
その日は、朝から体調を崩し、軽い風邪だと思って近くのクリニックを受診しました。診察の後、担当の先生から「不整脈と告げられ、紹介状を持って急いで病院へ行くように」と指示されました。次のその病院では、「大きな病院で緊急入院が必要だ」と説明され、日も落ちた夕方に大学病院へ救急搬送されました。
幼いながら、得体の知れない病気、突然に不確実になった将来、家族や友人と離れた環境に置かれた自身に対して「よく分からない怖さ」、「不安」、「寂しさ」を感じていたことを今でも鮮明に覚えています。そして、天に祈るような思いで病気が治ることを病室の窓を見ながら願っていました。
あれから、35年。私は医師となり、心臓病で苦しむ患者さんを救いたいという気持ちから内科、循環器内科の道に進み、数え切れない多くの生活習慣病、心臓病の患者さんと向き合ってきました。そして医学博士や専門医の取得、ロサンゼルスにある世界的有名な心臓センターで3年間の学び、国際学会での最優秀アワード、多くの論文発表もしました。それは本当に貴重な経験でしたが、一言では表現し尽くせないほど非常に大変な、そして私を成長させてくれる体験でもありました。
医学部を目指していた頃、ウィリアム・オスラー先生の“Listen to the patient. He is telling you the diagnosis.”という有名な言葉に出会いました。「患者さんの言葉に耳を傾けなさい、病気の答えは患者さんの中にある。」という意味で、いかに患者さんに寄り添うことが重要かを問いた一言です。そして、学生時代に日野原重明先生からは「患者さんに共感しなさい」と助言を頂きました。すべては幼い頃の病気への不安、あの恐怖を乗り越えたからこそ、これらの言葉の意味の重みを今でも胸に刻んで、医師として日々患者さんに寄り添い、共感しております。そして不整脈が完治した喜びがあったからこそ、患者さんに丁寧な診療、加療に尽力し続けてきました。
しかし、心臓カテーテル室や集中治療室で重篤な患者さんと接するうちに「患者さんがこんなに苦しむ前になんとか救ってあげられないか」、「循環器疾患で生活が一変する前になんとか救ってあげたい」と考えるようになり、地元の地域診療に貢献したい思いが強くなりました。
埼玉県は全国で有数な医療過疎です。私が生まれ育った宗岡の地で、今までの経験と専門性を活かし、患者さんやご家族の不安、心配ごとが安心に変えられる質の高い診療を提供して地域医療に責任を持って尽力したいと思っています。そして必要な人に必要な医療を届けて、内科疾患、生活習慣病や心臓病で苦しまない社会、みんながいつまでも活躍できる豊かな場所にしたいと心から願っています。